山域山名:南アルプス 赤石岳(3120.5m)・荒川悪沢岳 (3141m)

 

期  日:2017年7月27日(木)~31日(月) 

 

者:mt_kawani(単独)

 

    程:

 

7/27:相模原6:23==町田==小田原==8:51静岡・しずてつジャストライン9:50==

 

13:15畑薙臨時P東海フオレス送迎バス14:10==15:10椹島ロッジ泊

 

7/28:椹島ロッジ5:4012:05赤石小屋泊

 

7/29:赤石小屋5:40⇒赤石岳9:5010:30⇒小赤石岳⇒大聖寺平⇒13:30荒川小屋泊

 

7/30:荒川小屋6:15⇒悪沢岳(東岳)10:4511:15⇒千枚岳⇒13:45千枚小屋泊

 

7/31:千枚小屋5:2511:30椹島送迎バス13:00==14:00畑薙ダム送迎バス14:25

 

==17:45静岡駅17:52==小田原==町田==20:10相模原

 

         昭文社地図コースタイムの30%増しで計画してほぼその時間で歩いた。

 

ただ、山頂やお花畑等で予定外に時間をとった分多少は超過した。

 

 平成9年(1997年)8月12~15日以来、20年振りの再訪である。

 

思い入れのある赤石・荒川岳を80歳の記念登山として実施した。梅雨明け10

日の範囲でと25日からに日程を定めた。しかし不安定な天気が続いたため2

度延期しても思わしくなかったが、しびれを切らして出発した。

 

 やはり結果も、曇りで時折小雨、上部は霧でほんの一時的に霧が切れ周辺の視

界あり、青空を見ることもあったが、千枚小屋まで終始全くといって良いほど展

望は得られなかった。そして、14~15時頃から毎日雨が降った。荒川小屋で

は終夜雨が降り続き、停滞か否か迷い出発が遅れた。不思議なことに、稜線に僅

か微風があった以外は山中では全くの無風状態であった。ただ、最後の31日は

未明から晴れて、千枚小屋から朝焼けの富士山や笊ヶ岳を望むことができ、下山

途中の見晴台(2160m)では赤石岳、荒川岳の眺望が得られ僅かながらも慰められ

たのが救いであった。

赤石岳の山容(下山時見晴台から):手前は小赤石岳、奥の雪田の上が赤石岳山

頂。山名の由来は、南面の赤褐色の岩石が押し出された沢が赤石沢と呼ばれ、

それが山の名になったそうだが、登山道等で赤い石をみることはなかった。赤石

沢へ下りれば見られるのであろうか。深田久弥は赤石沢で美しい赤い石をいく

つも拾って記念に持ち帰ったと記している。そして王者の風格があるとも書い

ている。 *赤い石とは赤色のチャート(ラジオリヤチャート)のこと

 

悪沢岳:左奥が中岳(下山時見晴台から)(山名の由来:猟師の口から出任せ?

さりげなく言った?・・・悪沢岳からだとか)荒川岳三山とは前岳、中岳、東岳

をいう。深田久弥は著書「日本百名山」で、荒川岳(前岳・中岳)の続きとする

にはあまりにも立派すぎるので切り離して悪沢岳としたいように記述していて、

読者諸君には是非悪沢岳と呼んで頂きたいと書いている。百名山には悪沢岳と

して数えて荒川岳はない。たしかに頷ける山容ではある。こちらは野性的な雄々

しさを持っている

赤石岳への稜線で:ヒナ3羽しか見なかったが・・・周りをチョロチョロするの

で何羽の子ずれかは定かでない。他に山頂直下や丸山の手前で見かけた雷鳥は

アヒルのように大きくこの種は初めて見た。離れた後ろ姿しか見られなかった

ので写真は撮れていない。

もう直ぐ山頂、北側に僅か雪田が残る、避難小屋も垣間見える。

 

赤石岳山頂:明治12年1879)内務省地理局の測量班が登頂して、測量標

を立てた。一等三角点設置はそれから10年後の明治22年9月2日という。現

在の国土地理院の点ノ記を閲覧すると、「選定:明治14年------日、選定者--- 

設置:昭和24年9月2日、観測:平成21年7月27日、徒歩時間:500分

(椹島から約km」ただ、平成21年7月27日更新GPS測量とあり、標高は

3,120.53m (昭文社地図2013年版は3,120.1m)なお、現在の点ノ記は平成21

年8月25日調製となっている。また要図にはレリーフが描かれているが

 

あのウエストンは明治25年(1892)に小渋川から(大鹿村側)、明治42年

(1909)日本山岳会の小島烏水等が西山温泉から小渋川へ縦走している。明治1

9年(1886)に地元の堀本なる猟師が登山道を開拓し、明治35年ころまで多く

の講中登山が行われたとのことだが、内務省の測量班が登頂してから138年

経たことになる。この間、道路や交通機関が画期的に発達したとはいえ、未だま

だ南アルプスの雄大さと奥深さは魅力的である。

旧・新の山頂標柱と一等三角点:水準測量の結果によると、南アは最近100年

に3㎜以上の速度で隆起しており、100万年間隆起を続け現在でも成長中で

あるという。3㎜×100万=3000mとなる。あと100万年経つと600

0m以上になるだろうか・・・?その時、人類は?地球は?

一等三角点をアップすると何とも哀れな!点ノ記には保護石ありと記入さ

ているけれど文字は風化して殆ど読めない状態、向きは北東60度。 因みに

一等三角点標石の長さは盤石(12cm)まで入れて94cm、重量は盤石(45kg)

除き90kgである。

 

山頂に立つ!!(不要な荷は分岐に置いてきた)霧が切れると避難小屋が見える程

度で残念ながら展望はない。バックに富士山、そして聖、悪沢などが望める筈が

今雨が降ってなくここに立てただけ幸せだと・・・己を慰む

*この後ろ雪田側には、ミヤマタンポポ、チングルマ、ハクサンイチゲ、タカネ

ツメクサにコイワカガミまで咲いていた。

 

お花畑下にて:荒川小屋と赤石岳、小赤石岳の奥にチラッと見える。

昨日(7/29)荒川小屋に到着直前から降り続いた雨、停滞を覚悟したが小雨から

霧状態になったので思い切って出発した。幸運にもここで霧が切れて晴れ間も

見えた。

広大な斜面に広がるお花畑:香りが漂うお花の絨毯!晴れ間もここまで、上部の

前岳分岐の稜線へ出ると霧が掛かり小雨もパラついてきた。ハクサンイチゲと

シナノキンバイが中心だけどハクサンチドリ、クロユリ、ミヤマキンポゲ等々も

中岳山頂標柱と三角点:山頂標柱は鉄の袴を付けて統一されているが本体は木

製で表面が荒れ、文字が不鮮明で読み難い。三等三角点が寄り添って寂しく何か

を訴えているよう

前方に悪沢岳が顔を現した(霧の合間でこれが精いっぱい)登山道は直登で岩場あり

 

振り返れば中岳も:直下には中岳避難小屋あり管理人が夏季には常駐している

荒川小屋の評判弁当を食べながら色々話をお聞きした。ここと、赤石岳避難小屋

を利用する計画もよさそうだな~(天水利用とのこと)もう自分はできんが

東岳(悪沢岳)山頂:右後ろに富士山がある筈だ!360度の展望はなし!

東側方面はこの様な岩稜が続く左奥は丸山(山頂にての写真は割愛)

 

千枚岳山頂:三角点があんなところに

 

千枚小屋の朝:7/31の下山の日にようやく晴れた。

切り取った朝焼けの富士山

 

駒鳥池:オオシラビソなどの原生林に囲まれ水面に映す。夏鳥のコマドリが渡来

する。オレンジ色の鳥で“ヒンカラカラカラ”という馬のいななきのような囀り

が特徴的という。見たい、聞いてみたい!

 

 

ここからも下り一辺倒(岩尾根の一部を除き)は長かったな~小石下からは急

斜面もあり速度が落ちた。それでも蕨段と小石下の三角点をチェックしてきた

のは言うまでもない。(赤石小屋上の三角点も

 

◆多種多様多くの高山植物に出会ったけれど、お花は長くなるので割愛するが、

岩稜にはタカネツメクサとミヤマミミナグサが至る所で見られる。中でもクロ

ユリ、シコタンハコベ、ミヤマムラサキ、タカネビランジが印象的であった。

 

また、登山道、植生や小屋の状況などは書ききれないで終わる。

 

◆東海パルプ株式会社創業者の大倉喜八郎翁は1926年(大正15年)8月椹

島から88歳の高齢にして赤石岳登頂成功させたとして、登山口に記念碑が建

立されている。ただ、200人を随行させて、今のお金で1億円をかけてたそう

である・・・ そういえば、椹島からの尾根を東尾根または大倉尾根と呼ぶ。丹

沢の大倉尾根をクリヤーできればこの尾根(赤石小屋まで)は大丈夫と言えそう

である。

                          記:mt_kawani